廣瀬淡窓と咸宜園
歴史の声に耳に傾けると…
5月25日人尊協フィールドワークで日田市にある「咸宜園」(かんぎえん)と「廣瀬淡窓資料館」(ひろせたんそうしりょうかん)を訪ねました。
近代日本を支えた学校の普及するなかで,廣瀬淡窓が開いた「咸宜園」は全国から門下生が集まり,最大の規模を誇りました。「咸宜」とは,中国最古の詩集『詩経』にある「殷,命を受く咸宜,百禄是れ何なう」から来ていて「咸く宜し」とはすべてのことがよろしいという意味で,淡窓は門下生一人ひとりの意志や個性を尊重する教育理念を塾命に込めました。
写真:江藤主事他
咸宜園跡
教科内容や時刻表,国別入門者数が見えます。
五時起床掃除,六時輪読・・・
配置絵 開塾以来およそ5000人もの門下生が学びました。
はい!「・・・」
大津さん夫妻
「サッポロビール工場」見学を終えて。
咸宜園での説明会の模様(写真提供:石松江美さん)
淡窓は,身分や階級制度の厳しい時代でしたが、入門時に学歴・年齢・身分を問わない「三奪法」(さんだつほう)により,すべての門下生を平等に教育しました。「月旦評」(げつたんひょう)今の成績表で毎月の書・詩・文・句読の試験に合格する必要があり,合格点に達すると翌月初めに張り出されました。
また,門下生の人間性や社会性の養育にも努めました。その一つが全員で職務を分担する「職任」で,入門したての門下生も積極的に塾の運営に参加させていました。主な職任には,都講(塾頭)や主簿(会計),威儀監(礼儀指導),洒掃監(清掃)などがありました。
塾と共生したまち 日田市豆田町の雰囲気に触れることが出来ました。