七隈地元学「七隈郷土誌」を読もう
読んで、実際に歩いてみよう その2
別府から太閤道へ
日 時 6月7日 10:00~12:00
集 合 地下鉄別府駅改札口 10:00集合
参 加 者 9名参加
城南区別府には、秀吉が朝鮮出兵した時、博多と本陣が置かれていた名護屋城とを往来した道路があります。ぜひ歩いてみたいということで歩きました。
七隈地元学 史跡巡り第2弾
別府駅から「太閤道」を歩
別府→別府交番(裏道が太閤道)→中村学園大学の裏道を行く→少し右に折れ→
進んでいきます。左手に城南中学校・正門・花壇、右手に荒江団地の間を通り
太閤道・逢坂を見ながら→「末永文化センター」に入ります。
末永邸に残る屋敷あと、石灯籠と七層の石塔、忘帰台の石碑、天照大神を祭った石碑
末永文化センターから、別府橋通りを北側に越え、「荒江櫛田神社」へ。
帰路は櫛田神社から旧道を「大楠」まで歩いて、公民館に戻ります。
別府交番裏の太閤道・・・ここからスタートします。
中村学園大学の裏の道
太閤道の一部「逢坂」
末永文化センターへお邪魔します。
「七隈緑地」の中の文化センター
末永文化センターから「荒江櫛田神社」に向かいます。
途中、別府橋通りの薬局屋さんにある石仏
雰囲気に導かれ歩く
みなさま元気に到着
西側からの眺め
御祭の神様たち
荒江櫛田神社入り口でパチリ。
太閤道とは朝鮮出兵の際、博多と本陣があった肥前・名護屋城とを往来した道です。
二度目の名護屋出陣の際には、淀君も一緒だったと言われ、足跡を残したことになります。
今回のルートから先は、飯倉、原へ出て生の松原に通じていたと言われています。(別府郷土史研究を参照)籠だけではなく、途中、馬にまたがったりしたのだろうか?様々疑問と同時にいろんな思いが湧いてきます。